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2010年 2月 26日

また直ぐに青になるから。~アル・シーバートと日本の自殺率

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Minds are like parachutes — not much good unless they are open.
(心はパラシュートに似ている。開けなければ使い物にならない。)

6年前に始まった僕とメールのやり取りの中で、シーバートが最初に興味を持ったのが日本の自殺率の高さでした。

たまにニュースでもやってますよね?「今年も日本の自殺者は3万2千人を超しました」とか。

これは人口当たりの比較(自殺率)だとアメリカの倍以上です。
しかも、40代から60代の働き盛りの男性に圧倒的に自殺者が多い、といいます。

これってとんでもなく不名誉な事じゃないでしょうか?

去年、自動車事故で亡くなった方は5千人を切った、と報道されました。こちらの数字は、飲酒運転や自動車の性能アップなどもあり毎年改善しています。

自動車の事故の死者の7倍近い人が毎年自ら命を絶っている。

アル・シーバートにはこれが驚くべき事に思えたのでしょう。

景気の低迷、健康上の問題、人間関係、など分類すれば様々な理由はあるのでしょうが、僕はこう思います。

「希望格差社会」とは社会学者の山田昌弘さん(最近は婚活、で有名ですね)の
名キャッチコピーですが、人間が希望を持つ事が難しい社会にこの日本がなってきた。

勝ち組負け組なんていう言葉に代表されるように、元々僕らの社会は人間の価値観の多様性を認める社会ではなかった。

みんながたった一本のロープにしがみついているような状態。そしてひとたび落ちると
ロープは、ネットと違ってもうすがりつく場所は無い。

また自殺しようとする人たちが、さまざまな葛藤を抱えている、というのはそうでしょうが、それでも最終的に自殺までいってしまうのはちょっとしたキッカケによるのかもしれません。

たまたま、その日、悪い事が続いた、とか。
たまたま、電話した先が留守電になっていた、とか。

そういえば、数年前、秋葉原で大事件を起こした男も、随分ちょっとした事で凹み易い性格だったようです。 勿論自殺者と殺人者を延長線上で語ることなどできませんが。

誰でも、上手くいかない日はある。それでも自暴自棄になるかどうか、というのは持っている心の癖にあるような気がします。

日本社会が単一民族国家で多様性を欠いている事が、自殺率をはじめ様々な問題を
発生させているように、僕ら一人一人がそれぞれの心の中に多様性を持つ事が必要なのかもしれませんよね。

赤信号が続き、イライラしていたお父さんに5歳の息子がこう言ったそうです。
「大丈夫だよ、パパ。又すぐに青になるから」

上手くいかないときは、全てが八方ふさがりになるように感じます。

でもちょっと辛抱していると、パァっと霧が晴れるように又何でもないように上手くいき出す。

人生はそんなことの繰り返しのような気がします。

「大丈夫だよ。また直ぐに青になるから!」
レジリ
PS: 実はシーバート博士は、自殺に関しては許容的な立場をとっていました。
「その人は末期の難病を患っていたかもしれない。それでも君は自殺はいけない、と言えるのか?」と言っていた言葉が今も耳に残っています。

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2010年 2月 09日

「インヴィクタス~負けざる者たち」観てきました!

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封切られたばかりのインヴィクタス・負けざる者たちを観てきました。
クリント・イーストウッド監督の話題作、という事は勿論、モーガン・フリーマン
がネルソン・マンデラを演るというなら、こりゃ、観るしかないでしょう!

主役を演じたマット・デイモンも、凄いマッチョになって登場。真面目で思慮深い役を好演していました。

だけど、この映画のウリは、とにかく圧倒的なモーガン・フリーマンの存在感でしょうね。

もう既に役者という枠には収まらない器だ、と感服しました。

何か歴史上の人物を見ているような感じがしましたもん。


アパルトヘイトという人種隔離政策によって、世界中から非難を受けていた1995年当時の南アフリカが舞台。黒人たちは不潔極まりないバラックに住みサッカーに興じている。
他方、支配階級の白人たちは金網で隔離されたゲートシティに住んで、ラグビーに熱狂している。

ラグビー、という競技自体が、白人支配の象徴であって被差別階級の黒人たちの憎悪の的なんです。

その南アフリカでラグビーのワールドカップが開催されることになります。

メンバーの殆どが白人のラグビーチームを冷ややかに見ていた黒人たちも
強豪オーストラリアやサモア、そしてフランスまでも破るのを見て、次第に白人と共にナショナル・チームを熱狂的に応援していくようになります。

特に印象的だったのは、超人的な破壊力を持つニュー・ジーランド、別名
オール・ブラックスとの決勝戦の前夜のマット・デイモンと妻との会話です。

「明日の試合が心配なの?」
「いや、もうここまで来たら心配じゃない。戦うだけだ。
それよりも30年も地獄のような監獄にいた人間がなお、人を許す。
それはどんな事なんだろう、と考えていたんだ。」

とこんなことを話していました。

そしてマット・デイモンは、INVICTUS、屈しない魂、という詩に思いをはせます。

Invictus、ラテン語だそうです。英語で言うと、Invincibleになるのでしょうか。
「不屈の」「決してくじけない」という意味です。

「I am the master of my fate,
and the captain of my soul.」

僕は、しかし、この副題の、負けざる者たち、はちょっと誤訳じゃないかな、と思います。
「決して負けない」ことと「決してくじけない」ことは違います。
希望の底に、絶望の淵に、不幸のずんどこ、じゃねぇやぞんどこに何度も立たされた魂から発せられる言葉だからこそ、圧倒的な共感を呼ぶ。

マンデラは、30年の収監生活の中で、恐らく、不安や絶望に何度も打ちのめされそうになった事だと思います。
凄まじい差別の中で黒人に生まれた事は、もうその時点で、負けが自分の生活の全てのようについて回った事でしょうね。
彼の人生は、きっと負け続けの人生だった。

それでも決してその魂は絶望に屈することはなかった。
この映画はその事を教えてくれ、深く静かな感動を残してくれます。

「私の運命も、魂も私がコントロールしているのだ。」

僕も、この人生で学んだことは、決して人から、そして勿論自分からも、希望だけは奪ってはいけない、という事でした。この映画はそれを思い出させてくれました。

PS: 音楽もいいです。しびれるほど!
PPS: のじさん、あなたの言葉に深く感動しました。是非大切な人と観て下さい。

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2010年 1月 29日

現実に対応するにはどうするべきか?

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保険屋さんという職業柄、僕はいつも(これでも)意識している事がある。それは、事
において逃げないで対応できる存在でありたい、という事です。

こう書くと、物すごーく、いやらしいのですが、別に僕がそうだ、と言っているわけでは
ありませんので念のため。

僕は生まれつきとても臆病だと思っています。それを隠そうとして、粗暴なふりをしたりもしました。
だけどその臆病さのおかげで、どうにか自分に自信をつけようと色々と学ぶ事が出来たと持っています。
例えば、

『有事斬然 無事澄然』という言葉。
中国の六然、人の六つのあり方というのでしょうか、その中の一句です。
『ひとたび事があれば颯爽と対応するし、何もない時はゆったりと構えている』
そんな意味だと思いますが、これ、素敵だと思いません?

大体、この反対の人が多すぎる!何もない時は威張り散らしているけど、そんな人は
何かあるとトイレに逃げてたりするんですよね。

人間はもともとそんな強いものではない。勿論弱いものでもない。
心をどこに置くかで強くも弱くもなると思うのです。

そんな思いを持っている僕がいつも気をつけたい、と思っている事は、

何か事が起こる(外界)
   ↓
何が起こってるのかを把握し、観察する(内面) 
   ↓
それに最も適切に対応する(内面)

という事。

これに比べ、

何か事が起こる(外界)
   ↓
何でこんな事が起こるのかと戸惑う(内面)
   ↓
機能不全に陥ってしまう(内面)

という事が起きる事がある。

僕自身も以前、目の前が真っ暗になるくらいの不意打ちで
衝撃的な事が起こるのを経験しました。

その時には、どうしても、「何故」~ WHYを考えてしまう。
だけど、そこからは、WHYの無限ループが始まり、
被害者意識に凝り固まって、うずくまってしまう事になる。

まず、「何が起こっているのか?」、
また、「何は起こっていないのか?」
という「何」~WHATに直ぐに心のベクトルを向けたほうがいい。

何故、を考えるな、というわけじゃないんです。
それは、その後に、きっと、
いくらでも、
考える時間があるでしょうから。

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2010年 1月 13日

弾む心でいこう! 2010.1.24

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こんにちは!
新ブログでは記念すべき初投稿です!
本当に多くの方にお世話になりました。

特に、Mr.Agent取次さん、深山聡子さん。
このお二人が背中を押してくれました。
そして、実践的なパソコンの塾、パソ塾のみなさんにも、
いつも元気をもらっています。

思えば僕はいつも「人」に恵まれました。
自分自身は取るに足らない者ですが、いつも周りには
尊敬し、信頼し、そして笑い合える人がいました。

他には何も持っていませんが、しかし、そんな「縁」という
最高の運を持って生れてきました。

もともとは気難しく、品の無い、しょうもないすっとこどっこいだった自分が
とりあえずここまで来ました。

英語を教えてくれた故・峯島喜雄先生、あなたの姪っ子の高島礼子さんは
全くあなたに似ていません―本当によかった(なんのこっちゃ)

そして我が子房、そしてメンター、兄、父、そして友でもあったアル・シーバート。
あなたが6月に逝ってしまって淋しいです。
でもあなたの最後の数年に奇跡的に出会い、付き合う事が出来た事は僕の
誇りです。

またあっちいったら話しましょう、日本酒を飲みながら。でもできればあと35年ほど
待っていてもらいたいです。

ま、なんか、辛気臭い事を書いちまいましたが、持ち前の毒舌で皆様方には
ご迷惑をおかけするかもしれませんが、
どうか、
ながーい
目で
みてやって
下さい。

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